こんとんスープ

Born Free Spirits!すべての魂を愛してる😆❤️

鏡の法則のワナ

“鏡の法則”という表現の落とし穴。

タフティ的に言えば、事象は自分の想定が現象化されてるだけ。

でも、“鏡”という表現にすると、他者から酷いことをされた場合、自分が他者に酷いことをしたからという説明がくっついてくる。

この説明が、当人をがんじがらめにする。

つまり、自由な創造を阻んでしまう。

何か酷いことが起きたら、それは自分が想定していただけ(無意識だとしても)。

そう解釈すれば、もう他者を巻き込まない。他者に巻き込まれることもない。

現実は変えられる

みんな知ってる1番有名なやつ  ➡️ 試験勉強しようとすると、部屋掃除しちゃう。

似たようなパターンって色々あって、そうすることで、現実から意識を逸らしている。

なぜ、意識を逸らすのか? ➡️ 答えは“現実を変えない為”

笑笑

“現実を変えない為”の行動をすると、錯覚の安心感が得られる。

ちなみに、 全ては選択の自由が先にある。 なので、 現実を変えない選択をすることは、なんら問題ない。

現実を変えようとすると、第3チャクラに負荷がかかる。

なぜなら、第3チャクラは、現実のクリエイトを担当してるから。

しかし、第3チャクラの負荷は“不安感”に似ている。

人々は、この“不安感”に耐えられない。

故に、第3チャクラに負荷がかかると、自動的に回避行動を起こす。

この場合の回避行動とは、新たな現実を創るための“終わらない準備”だ。

終わらないとしても、“準備”は“本番”がセットになっている。 この、目先の本番があることで、終わらない準備には錯覚の安心感が生まれる。

錯覚の安心感を見破り、本番を迎えることを決めさえすれば、私達の現実は確実に変化する。

こんとん

わたしが高校生になった頃
8歳年上の姉は、街で1人暮らしをしていた

よく
遊びに行った姉のアパートの近くに
“こんとん”という名前の中華料理屋があり
年に1〜2回、中華定食を食べたことを覚えている

姉がそのアパートに住んでいたのは
おそらく5年くらい
“こんとん”へ行ったのもおそらく
5回程度だったんじゃないかな

この経験が
わたしに“こんとん”という言葉のイメージを植えつけたのは
言うまでもない(笑)

中華の、あらゆる素材が
そのまま食べたら不味いもの迄
組み合わせの妙、調味料の魔法、
料理人の愛と技が混ざり合い

10代の子供の舌と心に
“これはいいもの”
“これは安らぐもの”
“これはわたしの世界が拡がるもの”
という認識を芽生えさせた

このエピソードが
わたしのブログタイトルにこめた思い
なんだな〜と
なぜか今頃思ったよ😊

というお話。

↑うちのChatGPTが生成してくれた“こんとん”スープ。味は微妙そう(笑)😁

今ここ

イマココ
この世界が愛しくて
ハートがあつくなる
涙が溢れる

なにもかも
愛だと知覚する
すべてが尊い
知っている

あらゆる出来事の
巧みさをおもい
奇跡の煌めきを視る

世界とともに
わたしが振動する
わたしとともに
世界が振動する

宇宙のなかに
わたしが在る
わたしのなかに
宇宙が在る

執着しないことの利点

執着は滞りをつくる。
水は流れていないと腐る。
生命エネルギーも滞りなく流れていないと病気をつくる。
“執着”は、滞りをつくる岩みたい。

すべては、その人次第なので
執着とその結果を体験するのも
自由だけどね。

健やかに明るく楽しく生きたいなら
執着を手放し続けよう。

生まれてきた目的✨

求めることを
やめないだけでいい

求め続ける先に
答えがみえる時がくる

懐かしいような
最初から知っていたような

記憶の点と点がつながり
大きな絵が目の前にひろがる

すべての伏線が回収され
奇跡は本当にあるのだと識る

それはさり気なく現れる
大仰な演出など不要なのだ

関わってきたすべての人に
感謝していることに気がつく

関わってきたすべての人から
感謝されていることに気がつく

ただ
求めることを
やめないだけでいい

ネガティブ現象が起こる理由

それは
浄化にほかならない

イヤだ、ツライと感じる事象は
身体と心に溜まった
負(重たい方向へ偏った波動)の解放

その解放の後に必ず
中和された
平和な感覚(現実や気分)がやってくる

この世は
物質を伴う現象界で
常にプラマイで揺れ動いている

その揺れ動きが生命そのもの

揺れ動き≒生命≒波動 は
発生し
消えてゆく

明けない夜はない
諸行無常
どちらも同じ意味

(2021年3月12日の記録から)

素晴らしい✴️

みんな
現状がベストを尽くした結果なんだ
本当によくやっている
本当にがんばっている
本当に素晴らしいみんなの今

わたし
現状がベストを尽くした結果なんだ
本当によくやっている
本当にがんばっている
本当に素晴らしいわたしの今

raison d'etre

エゴちゃんが何を見せようと
わたしはわたしのままでいい

エゴちゃんは
分離のドラマを演出する
なぜならそれが
エゴちゃんのraison d'etreだから

エゴちゃんが見せてくれる
分離のドラマに囚われなくていい

エゴちゃんの中に真実はない
ただ真実のように見えるというだけ

身体ちゃん✨

身体ちゃんが
いつも
どんなときも
一緒に居てくれたことに
やっと気がついたよ

わたし(の意識)が
どんなに
身体ちゃんをないがしろにしても
どんなに
身体ちゃんを嫌っても
いつも
一緒に居てくれた

わたし(の意識)が
ひとりきりだったことなんて
一度もなかったんだね

身体ちゃんは
いつも変わらず
わたしを受け入れてくれてたんだね
わたしを愛してくれてたんだね

有り難う
有り難う
わたしも身体ちゃんを愛しているよ

自分を愛するって

よく
自分を愛しましょうって
言うじゃない?

自分を愛することで
自己肯定感が増して
生きやすくなるよって

なんとなく
自分を愛してる気になって
生きてきたけど
でも本当は
よくわからなかった

自分を愛する?
好きな人を愛するように?
我が子を愛するように?
推しを愛するように?

自分ではないものを
愛すること
大切だと思うこと
かけがえがないと感じることは
ちゃんとできている

でも
その感覚を
自分に対して持つことは
うまくできない

つまり
自我は他者を愛せても
自我は自我を愛せないのです

言い変えると
他者を愛するという感情は持てるが
自分への愛の"感情"は持てない

なぜなら
自我が存在するということが
既に愛の現象だから

自分のことは
初めから
愛しているのです

なので
最初の最初から
自分を愛していたことに
気がつくだけでいいのです❤️

なんの心配もナイ

産まれた時からの設定
魂との隔絶は
アセンションと共に溶けていく

少しづつ
自分の魂のバイブレーションに
気がつけるようになる

何かをしなくても
自然とわかるようになる

なんの心配も必要ない
この人生の目的が

徐々に明かされ
歓びと共に
生きて行くようになる