こんとんスープ

Born Free Spirits!すべての魂を愛してる😆❤️

RUN

走る
ひたすら走る
走っていることだけを感じながら走る

最高に贅沢な時間の使い方のひとつ
言われてみて初めて気がつく
確かにその通りだ

知らなかった世界がみえてくる
彼(彼女)を通して
わたしの知覚が拡大する

行動は創造だ
彼(彼女)が走ることも
自分と
自分に関わる周囲を創造する

走る 走る 走る
そしてゴール
ありがとうございました!
いつのまにか感謝の思いが溢れる

その感謝の思いは
自分と
自分に関わる周囲をつつみ込む

彼(彼女)が走ることで
世界は輝きを増して行く

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隣のアッコちゃん

中学生になった年の夏休み、
通っていた小学校にプールが出来たと、
隣の家のアッコちゃん(2歳下)が
教えてくれた。

ささやかな花火遊びをするために、
その日は近所の女の子4人で集まっていて、
じゃあこの後ちょっとプール見に行って
みよう!ということになった。

小学校は、子供の足でも8分くらい。
わくわくしながら4人で歩いて行く。
(子供の遊びに大人が付き添う時代ではないし、危険のかけらもないド田舎の話)

淡い街灯に照らされて、
プールはあった。
簡単に越えられる低い柵のみの、
実に無防備な姿で。

もちろん他に誰もいない。
どうする?入っちゃう?と、
盛り上がる子供たち。

柵には登ったが、
どうする?どうする?と、
みんな自問自答し始める。

その時、隣のアッコちゃんが
「今ここを越えてプールに入るか入らないかは、これからの生き方を決めることになる」と言った。

そして、
プールに入った子は2人。
入らなかった子が2人。

アッコちゃんとわたしは、
その暗い未知のプールに服を着たまま入った。
ぬるくて虫も浮かんでいることに気がついたが、
なんだか成し遂げた高揚感に包まれていた。

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言葉ってやつは

「落ちるところまで落ちろよ」
と、最近耳にした。

常識的に聞いてしまうと、
血も涙もないな、となってしまう。

でもさ、
言葉には話の流れがあって、
前後に語られた内容があって、
会話してる人達の関係性があって、
その言葉を発した人の人となりも
加味されて、
意味が変化しまくるよね。

真意は、
「常識に囚われるな、自分に素直になって、やりたいことをやり尽くせ(どこまで落ちようと見捨てないから)」
なんじゃないかな。

言葉ってやつは、まったく(笑)

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探してる

過去ログ(かなり過去)。
18歳の日記帳から、
詩を2編発掘。
6月9日のページ。

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いつまでも待ちましょう

明日という日がなくなる時まで

死がふたりを別つまで

一緒にいると誓いあう

そのあなたしかみえないのです

まだ知らないあなたしか

心のなかみをあづけられない

ーーーーーーーーーーーーーー

ふたりは精神を共有する

ふたりの精神は共鳴する

どうしてカラダが分かれたのか

その問いをくり返し

いつかひとつに融合する

その時を夢みて

今はまだ

深い沈黙の中に身を投じて

ーーーーーーーーーーーーーー

探してること覚えてた。

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コドク考

人は孤独だと思う。

孤独は、人から恐れられたり、無視されたり、倦厭されたりしている。

孤独から目を逸らすことは簡単だ。
誰だってやってる。

何か(何だっていい)に集中したらいい。
お酒を飲んで酔っぱらっちゃえばいい。
自分は被害者だと怒り続けたらいい。

でもそんなの続かない。
限界が来るからね。
否応なしに、
自分が孤独だと認めることになる。

涙も出ない。
コドク、という言葉の意味さえよくわからない。
だけど苦しい。
何十年も何百年も何も飲んでいないような渇き。

そんな感覚を背負って日々生きていることに、
いつかは気がついてしまう。

ここまで書いておいてなんだけど、
コドクを解説したいわけじゃない。

言いたいことは、そこじゃない。

孤独をおそれるな。
孤独は幻だ。
この世の、浮世の、妄想の一種なんですよ。

よく言うじゃない?
闇があるから光がわかるって。

孤独があるから、
自分が本当に欲しているものを求めるのですよ。

どうしたらそれが得られるかはわからない。
でもがむしゃらに、心の底からそれを欲してとにかく行動を起こす。
決してあきらめない。
あきらめない事だけがルーティンになったとしても。

孤独は"癒す"ものではない。
孤独という体験は、本当の自分を知るためのトリガーみたいなもの。

あきらめなければ、
いつか必ずたどりつくよ。

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18歳

古い日記を読み返していたら、
こんな文章を発見。


『今年から生涯をかけての目標

二言のないこと
頭が柔らかいこと
了見が広いこと
おちついて判断できること
自分の意志を簡単に曲げないこと
礼儀正しいこと
人あたりのよいこと
情報を多く持つこと
外見に惑わされないこと
バカにした態度をとらないこと
多くのことに興味・関心を持つこと
これと思ったことは真剣に取り組むこと』


1月1日の決心。
18歳て、幼いけど
もう色々とわかっているんだなぁ。

私は、
あなたの思い描く大人になれたかな?

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みんな、わたし

みんな、わたしだ。

ネガティブ全開で何も決断できないあの人も、
とっ散らかってヤバいスピリチュアルにハマってるあの子も、
自分がいっぱいだと娘の誕生日を忘れる母親も。

みんな、私だ。

だから、
簡単に切り捨てるなと言われるんだ。

冷汗でる。
切り捨てなくてよかった。
とんでもないミスおかさなくてよかった。

私がわたしを切り捨てなくてよかった。

気がつけてよかった。

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軽やかに

今の自分だから できること
すべて やりつくしたい
昨日ではなく 明日でもなく
今、生きてる この世界で
思いつくかぎりのたのしみを
流れるように 翔ぶように
心のままに ありのままに
ひとりでも ふたりでも
思いつくかぎりのよろこびを
溢れるほど うけいれて
持ちきれないほど うけわたして
軽やかに いこう!
軽やかに 生きて行こう

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満たされる

このあたたかな思い。
書きとめておこう。
まだ会ってもいないのに。
胸が満たされる。
喉が熱くなる。
絶対的な安心感と信頼感が包んでくる。
涙が少しどうしてもでてくる。
まだ会ってもいないのに。
こんな勝手に感動してもいいのだろうか。
止めることはできない。
(止める気もさらさらない)
幸せは魂が与えあうものなのだと。
あとから思いはじめる。
自分の思考が大好きだった。
でも今はもしかすると。
なんなら感情もどうでもいい。
感情が動いて魂が揺さぶられるのだと思っていた。
ちがうんだね。
魂がダイレクトに時も空間も関係なく重なりあう。
そこから光が溢れだし思考が後付で感情を脚色する。
まだ会ってもいないのに。
この体験をありがとう。

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Torch

私の内の善きものを、
うまく持っていってくれますよう

あなたの波動が高まることに、
役にたてますよう

今ここに生まれてきた理由が、
きちんと遂げられますよう

いつか目が醒めて、
すべてが愛だと身になりますよう

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現実

必死にならず「ただきく」
多種多様な波動は、常に存在し、常に降りそそいでいる
今までもそう
ただ感覚していなかっただけ

変化が停滞しているように感じる時、
焦る必要はない
すべては常に変化しつづけている

まもなく奇跡がおこる
(それは過去の価値観で奇跡という扱いに分類されていただけ)
本当はただの因果だ
原因の思いがあり、結果が現象化する

私はここに存在している
ゆらぎなく地球と一体になっている
(それ以外はありえないが)

現実をかえるのに、りきみは不要だと、
気づきはじめている

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雑草に注目

最近、雑草の動向(?)に注目している。

まず、どこにでも生えている。
場所によって、種類が違ったりする。
日がよく当たるとこ、
日陰になっているとこ、
湿っているとこや水辺、
舗装されているとこ、などなど。

そして、デザインが実に様々。
花のあるなし、
横つたい型、垂直型、
放射状に広がる型、など。

もちろん基本グリーンだけど、
色調がバリエーションに富んでいる。

昨日は、すごい土砂降りだった。
雨降りの不便さよりも、
恵みの雨、と思った。
雑草が、これでどんどん繁栄するわ♪
とね。

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ゼロ・グラビティ

ゼロ・グラビティという映画をご存知だろうか。


原題はGravity (重力)。
邦題がなぜ 無・重力 になったのか。
映画製作サイドの焦点は地球(重力)で日本語翻訳サイドの焦点は宇宙(無重力)なのか。


さておき。

これは酷く息苦しい映画だ。


比喩ではない。
観ていると、宇宙空間で次々とアクシデントに見舞われる主人公に同調し、こっちも一緒にどんどん息が上がってくる。


とにかく酸素が足りないのだ。


最初のアクシデントで過呼吸になり酸素ボンベの中身がどんどん減っていく。
やっと冷静になって周囲を確認すると、スペースデブリの嵐で頭に穴が開いた同僚と船体。


酸素がなければ生きられない。


そして、動力になるものが無ければ行きたい場所(地球へ帰還できる乗り物)へ移動することも出来ない。


主人公は、
生命維持ぎりぎりの困難を何度も乗り越えることになる。
彼女はシングルマザーで、4歳の娘を不慮の事故で亡くしていた。


死ぬことを望んでいたのかもしれない。


地球に戻る理由なんて無いと。
精根尽き果て酸素の供給を自ら減少させた時、
今回のミッションで最後の最後まで、地球帰還のサポートをし生きることに楽観的だった宇宙飛行士が、彼女の心に突然現れた。


必ず方法はある!
あんたは地球へ還るんだ!


死の淵から引き返した彼女は、絶対地球に戻る!と決心する。
生きることをもう迷わない。


最後の運と気力をふりしぼり、地球に帰還した。
重力で動くことが難しいなか、彼女は笑っている。
「ありがとう・ありがとう」


呼吸が、できる。
大地が、抱擁してくれる。


ここは生命を守り育むところ。
ありがとう、地球。


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今日のこの穏やかさ

今日のこの穏やかさ

嵐の夜をこえた朝のよう
さまざまなものが流され
新しい命が芽吹き出す

ふと気がつく

世界は循環している
偏りは中和される
どんな現象も
永久に続くことはない

諸行無常
明けない夜はない
だから世界は美しい


私のなかにあるこの調和
広がれ!この世界に

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